なんで一流なのかとは。
最近。娘とお風呂に入ると。
身体のほくろの数を数えられるのですが。
年々増えてる気がしてまして。
これはいくつまで行ってしまうのでしょうか?
おじいちゃんになる頃には。
100個くらいになってるかもしれません。
どうも。こんばんは。
僕。これでも音楽本気でやってた結果。
皆さんも絶対に知ってるような。
芸能人の方とフットサルをすることが。
何度もあったんですね。
で。そこで気付いたことがあって。
やはり一流って皆努力してて。
だからこそ一流なんだな。
ってことがあるんです。
生まれ持っての才能だけで一流になったわけじゃなくて。
努力してるから一流なんですね。
多分。周りが無理でしょ。なんて思うことだって。
成功するまでチャレンジして。
成功をつかみ取った結果がまさにあの位置にいるわけです。
ってことを今日は書きたいと思います。
FOURTHは高校3年の部活の引退を機に組んだバンドなわけですが。
確かに大学在学中にCD出したわけですが。
でも。本格的に死ぬ気でやったのは。
大学を卒業してからの2年間。
2年で110本くらいのLIVEをしたわけですが。
まず皮切りに下北に進出しようと下北のオーディションLIVEを受けました。
今でも覚えてますが。
その日。千田のギターがトラブルで音が出なかった。
僕らはオーディションに。
見事に落ちてそのライブハウスでLIVEすることはできませんでした。
今。思えばLIVE当日に音出ないなんてあり得ないわけです。
お客さんはお金払って時間使ってくるのに。
音出ないなんて準備不足以外のなにものでもない。
そりゃあ落ちます。
でも僕はあり得ない。こんなLIVEハウスあり得んと憤慨して(笑)
下北の別のLIVEハウスに突撃したら見事に出れるようになりました。
今。考えれば何も凄くないんですけど。
当時の僕には。
ほら見ろ。下北だって俺らは出れるんだ。みたいな。
何の凄くもないレベルで満足してる自分がいたわけです。
だからこそ。下北のLIVEハウスに出たって。
努力と言える努力なんてしてないんだから発展なんてないわけです。
むしろ。遠いからもっと近くの箱が良いな。くらいに思ってました。
全くもって頭使ってなくて。今想うとメンバーに本当に申し訳ない(笑)
そこから。
僕は関東各県に自分でCDとフライヤー持ち込んで出演交渉をして。
初の関東ツアーを自分で組みました。
当然。お客なんて1人もいません。
でも。さすがにそれはヤバい。
ってことで。
僕はLIVE当日。
リハが終わった後。外に出て。
LIVEハウスの周りで。
歩いている高校生や大学生片っ端から声をかけました。
今日。この後。LIVEに出るんですけど。
僕ら東京から来て初めてでお客さんいないんで。
もし。お時間あったらチケット代も全部僕らが持つんで。
30分だけお時間下さい。何ならこのCDもあげます。
って声をかけたんです。
不思議なことにね。
その時。高崎でも。水戸でも。柏でも。
来てくれた女子高生や女子大生がいるんですけど。
今でも誕生日に連絡くれたりして。
今でも繋がってる人ってその時声をかけて来てくれた子なんです(笑)
これって凄いことだよな。って今でも思います。
それを皮切りに地方でもお客が少し増えて行ったし。
中には都内にまで来てくれる子までいました。
ってことで。
僕らは地方でも少ないなりにでも。
お客が呼べるバンド。
って結果を出したおかげで。
普通とは逆で。
地方で認められて。
都内のオーディションに受からないと出れないようなLIVEハウスにも。
オーディション無しで出れるようになり出しました(笑)
関東各県のLIVEハウスは毎月出てくれ。とオファーがくるようになりました。
普通は都内で結果出して地方に行くんですけどね(笑)
で。僕らは池袋ロサのブッキングマネージャーに評価してもらっていて。
ある日。自主企画イベントやらない?と持ち掛けられました。
そこで勢い乗りまくってた僕は。
新しいCDを作るのでレコ発ワンマンやらせてください。
と逆に売り込んでみました。
そこで。僕はファイナルでワンマンともう1つ要望を出しました。
関東は日程固めてツアーにできるので。
そこに合体させて関西ツアーを組んでほしい。
という要望です。
したら。ブッキングマネージャーの鈴木さんが優しくて。
見事に組んでくれました。
確か。名古屋と大阪2本。
関東と関西入れて合計16本とか17本のツアーになって。
僕はグライダーのCDを作って。
ファイナルでワンマンをやりました。
それが優紀との出会いのワンマンですね。
確か200名近く動員したワンマンになりました。
その初の関西ツアーで実は関西の事務所の人に引っかかって。
偶然その人は関西でやってる小さな事務所の社長でした。
その人は。
その後の僕らの関西ツアーの際は。
ツアー日程を組んでくれて。
LIVEハウスと交渉も全部してくれて。
LIVEは全て観に来てくれて。
最後まで面倒を見てくれました。
そんな出会いもありました。
そこからの僕らは。
3ヶ月連続スリーマンとか。
東京を超えて。
千葉でツーマンやったり。
茨城でスリーマンやったり。
ピックアップアーティストになったり。
ラジオの出演オファーや。
LIVEのオファーも来るようになって。
ワンマンも3回やりました。
そして。事務所からもオファーがきたところで解散しました。
これがFOURTHです。
そんな僕らは途中で東京でのHOMEの箱を渋谷に移したのですが。
そこのブッキングマネージャーには8割厳しく。
2割優しくされたのですが。
そこのLIVEハウスなら気になるバンドはいつでも無料で見させてあげるから。
どんどん良いバンドを観なさい。
なんて言われて。
気になるバンドのLIVEを無料で見に行くようになったんですね。
もう今はなくなってしまったデセオって箱なんですけど。
ってことで。相変わらずバイトしまくり。リハしまくりで超忙しかったですけど。
月に数回はデセオに通い。毎月出演もしてたので。
いつデセオに行っても必ず知り合いに会えるくらいにはなりました。
とにかくFOURHTで上を目指す。という一心で夢中でデセオに通った結果。
FOURTHを解散してすぐの頃。
デセオでそこそこ有名なバンドたちのフットサル大会が行われたのに。
解散してたけど声をかけてもらったんですね。
で。そこに僕はこれまたフットサルしたいだけの目的で行ったんです。
そうしたら。
そこに来てたバンドは。
僕が無料で見ていいよと言われて観に行った気になってたバンドの人が多くて。
そうなると。
いついつのLIVE観に行きました。
なんて話からすぐに繋がるし。仲良くなれる。
そのおかげで。
次のフットサルにも声がかかり。
さらには。
僕はサッカーをやってたおかげで。
そりゃあサッカーやったことない音楽人の集まりに入れば。
上手で目立つわけです。
なので。
その人が個別でやってるのにも助っ人で誘われるようになりました。
ちなみに。
その渋谷の東急の屋上で平日の真昼間からフットサルやってるわけです。
その時の僕は24歳とか。
普通なら仕事してますでしょ?
ぷー太郎の僕は皆が働いてる間。フットサルしてたわけです。
で。そこで終わって。飲みに行こうで連れて行ってもらったのが。
キリンシティ。
もうビールうますぎて衝撃でした。
何このうまいビール???????みたいな。
世界はこうやって広がるんすね(笑)
で。そこから。
その人の引越の手伝いとか。
いいですよ。
なんて手伝ってたら。
なんと芸能人と定期的にフットサルに呼ばれるようになったわけです。
ここからやっとなんで一流なのか?
って書けるんですが(笑)
既に2000文字突破してるので。
一流なのかについては明日書くとして。
今日ここまで細かく書いた理由は。
一生懸命やって利益を求めなかったもの。
欲を持たなかったものは。
こうやってプラスに広がっていく。ってことを書きたかったわけです。
僕がぷー太郎を選んで就職もせずに。
どれだけ死ぬ気でやっても。
結果が出なかったし。
まだ音楽なんて遊んでんの?
もう25歳だけど・・・。
みたいな空気全開で友人にも親にも見られてたけど。
それでも僕が今でも胸張ってるのは。
そのおかげで。
あれから10年たった今も。
こうしてここに書けるような経験をしたわけで。
あれはサラリーマンしてたら絶対に気付けない。
経験できないことだったってことです。
あそこで得たものは信頼であって。
それによって。
どんどん派生していったってことです。
必ずいつか派生して大きな利益に繋がるってことです。
目先の利益を求めない。
これが言いたかった。
僕の体験談です。
ってことで。長くなってしまって3000文字超えたので。
一流についてはまた明日。
因みに。
その渋谷のブッキングマネージャーは別のLIVEハウスで働いているのですが。
今から5年以上前かな?
その人の企画で。
1夜限りの復活イベントをやる。ってなったんです。
当時。そこで出てたそのフットサルに集まってたバンドたちですね。
結構。メジャー出て。
有名なアニメの主題歌に起用されてたようなバンドもいくつもあって。
そこにFOURTHも出てよ。と声をかけてもらいました。
残念ながらボーカルのあべたつると音信不通の僕らなので。
出れなかったですけど(笑)
まぁ。そこに声をかけられたのも光栄なことですけど。
フットサルとかがあったのも一因だと思います。
何が繋がるかわからないもんですね。
今日も読んでくれてありがとう。
さぁ。今日も楽しくいきましょう。